「刃物が好き」というと、大抵怪訝な顔をされます。
外科医あるあるで、切れない刃物が大嫌い。他の文房具は100円ショップでも平気ですが、ハサミやカッターなどは、ちょっと高くてもいいものを持ちたいと思っています。
最近イオンに爪切りを買いに行きましたが、なかなか良いものが売っておらず、ウロウロ迷ってからやっと望みに叶うものを見つけました。
貝印「関の孫六」1,900円!
正直爪切りにその値段はどうかとも思いましたが、刃物の性能の良さは値段に正比例することを知っている身として、思い切って購入いたしました。
家に帰って早速爪を切ってみましたが、「お!」と思うくらい気持ちよく刃が入ります。思い通りにスカスカ切れて、爪に引っ掛かりができることもありません。皆様も是非、機会がありましたらお手に取ってみられることをお勧めいたします。別に貝印からお金をもらっているわけではありませんよ。
さてさて、僕には「日本刀収集」というさらに人に怪訝な顔をされる趣味があるのですが、「最近、〇〇を買わないか」というお話を立て続けにいただきまして、その中に「関の孫六」が入っておりました。
とんでもない値段だったので辞退いたしましたが、俗に言われる「関の孫六」。僕らの業界?では孫六兼元と呼びますが、「兼元」という名前は代々続いておりまして、現代にもその名跡を継いでいる刀鍛冶さんがいらっしゃいます。
後代兼元は誰が見てもわかる典型的な「三本杉」と言われる刃文を焼き、これは幾振りか拝見したことがあるのですが、孫六兼元は実際に手に持って観たことがありません。図譜で見ると、後代のような人工的なものではなく、実に風雅な刃文です。今度その方にお会いした時、まだ手元にお持ちでしたら、是非拝見したいと思っております。
「日本刀を持っている」と言われると、「気味が悪い」と感じる方もいらっしゃるでしょう。
決定的に合わない方もいらっしゃいます。刀を持ったまま体が動かなくなってしまい、「廣瀬さん!体が動かない!刀を取って~!」と叫ばれて、慌てて横から受け取った経験もあります。
が、数百年前に打たれた刀を鑑賞するとき、その刀を手にして生きた人々の人生に思いを馳せ、また刀が持つ美しい自裁の精神を見つめることで、僕は自身の心が研ぎ澄まされるのを感じるのです。
明治の元勲は多くが暗殺に倒れましたが、彼らは毎朝、刀を抜いて、じっと眺めてから登庁したといいます。
刀の持つ光は、「お前は精一杯生きているのか?今日死んでも悔いはない生き方をしているのか?」といつも問いかけてきます。
話はどんどん脱線していったのですが、姫路でも、もう少しすると、美術館や博物館で刀の展示するイベントが始まるようです。皆様も、一度足を運んでみられれば如何でしょう。
その刀を手に、戦場を疾駆した武士たちの魂が垣間見えるかもしれません。
ちなみに、我々が日々手にするメスの刃は、日本刀の原料となる玉鋼を造っている、島根県の安来鋼からできていること、ご存知でしたか?
実は皆様の使うカミソリの刃も同じなんですよ!