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ピックアップ Pickup / Column

楠山Dr

お疲れ様でした

こんにちは。皆さんいかがお過ごしでしょうか。
新年になってから寒い日が続きます。
当科の救急外来も寒くなると同時に殺伐としてきました。
お話を伺っていると風邪をひいてから調子が悪くなったというお話をよく聞きます。

まー「アホは風邪ひかん」と古くから言われている言葉はありますが、皆さんアホちゃいますから風邪をひきます。
外来では「コロナ」や「インフルエンザ」という単語をよく聞くようになりました。
100%
罹らないというのは不可能ですが、基本的な注意(マスク・うがいや手洗い、ここまでは自信あるかもしれませんが、ちゃんとした食事・規則的な生活も大切です・・・)はして頂いて、それでも風邪ひくのはしゃーないですね。

書いていて気付いたのですが確かに「コロナ」という単語を聞くと数年前はみんな緊張をしていました。
この騒動が始まったときと比べると今では状況も我々の知識・治療法も日常の中での位置付けも大きく変わってきて日常の中の「コロナ」になろうとしています。

そんな、当院のコロナ病棟(Corona High Care Unit/CHCU) の運用も年末で終了しヘリポートの北側の見慣れた建物の解体作業がそろそろ始まります。
同時に各病棟から来てくれていたスタッフともお別れです。
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25日にその解散式が行われました。

20201月に最初の国内での感染が確認され当院でも院内のクラスター等で大変な時期がありました。
その時の「コロナ」という言葉が聞こえたときのみんなの緊張感はとても大きなものでした。

ある日、院長に呼び止められて「急性期診療を継続するためにもコロナ病棟作ろう!」と言われビックリしたのを覚えています。
あれよあれよとコロナ病棟の設計図が完成して箱ができました。
更にあっという間に中身の機材も入ってきます。
ま、ウチらしい・・・。

くり返しですが、まだ「コロナ」という言葉はイヤな雰囲気を感じる言葉でした。
流石にこれは自主的な参加でないと難しいとのことで集まってくれた人達がCHCU を作りました。

今ではコロナはウイルス感染症の中の1つになっていますが、その当時は肺炎を発症して重症化して亡くなる方も多く、未知の感染症でありました。
その時に自分からコロナ診療をやってみようと思ってくれた皆さんは非常に心強い存在でした。
私も今思えば循環器診療と両立できるのか、不安はあったんですよ。

さてメンバーを見てみると比較的若いメンバーでありました。
最初は副看護部長がいてくれましたので、「病棟は離れているしどうせやるんだったら、コレを機会に自主的に動くことができる看護師を育成しよう!」と話したのを覚えています。

特に最初は流行するとすぐに病棟は埋まり、保健所・県のコロナコントロールセンターなどからの入院要請がます。
救急外来では普通にやっていますが、病棟のリーダーが情報を取って私達と保健所や県と入院調整・交渉をしてくれました。

最初は誰しも初めての経験がありますが、その若いスタッフも慣れてくると交渉が上手くなってくるんですね。
更に自分の中で病棟調整をして教えてくれる方も出てくるようになりました。

また私もコロナ診療は初めてで内科医としての対応をしておりました。
症例を重ねていくとウイルス感染症ですので、医学は抗ウイルス薬しかないですし、看護学やリハビリテーションが重要な面であるなと思うようになりました。

そうなるとカンファレンスも医師が「云々・・」と難しい事を言っても始まらず、カンファレンスではメディカルスタッフ発言をお願いしたり、と自主的に意見を持ってもらう事を楠山は目標にしておりました。

勿論、自主性の育成に関しては100点ではないと思いますが、医師の指示を受けて動く確かに正しいですが全てコレでは受け身です。
医師にそれぞれの専門分野の情報を「上手に」提供して医師の判断を更に良いものにする、これが正しいチーム医療かな、と思っております。

その為に医師は責任を負う覚悟必要で逃げたら誰も信用してくれなくなります。
色々言った挙げ句に「ま、知らんけど」なんて言う医師、いやでしょ?
良い意味のプロ意識のような緊張関係が適切な関係を作ります。

病棟としては2年半ぐらいであったとのこと。
その間に「自主的に(どこまで自分で判断するかの判断もテクニックですが)」というテーマに関して少しは育ったんじゃないかな、と手前味噌ながら思っています。
途中で院長が「CHCUの士気、高いな」と言われたので多分そうでしょう。
受け身の仕事しかしないようでは士気は高まりませんもん。

そんなこんなの経過ですが、めでたく202312月末で当院のコロナ病棟の運用を終了しました。
メンバーも色々な方向へ進みましたよ。
自分のやりたいことを探して旅立った人、結婚して現在産休中お母さん、そしてまた通常の病棟へ移動した人、様々です。

1つのプロジェクトが終了しますとチームは解散します。
一旦お別れしてそれぞれの道に進みます。
以前もお話ししましたが「何かの立ち上げ」は非常にチャレンジングでやりがいのある仕事ですし、誰しもができないことです。

そういう意味では区切りが必要ですよね。
その解散式でした。

まあ、結局は食べて、飲んで、思い出話をしたって事ではありますが、みんなのユニフォームを着ていない姿・表情は全く違います。

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「先生と一緒に働くことができて良かった」という言葉は私にとっては何よりの御褒美かと思います。
産休中の人、勤務の関係など全員が出席は不可能ですが、そこだけが心残りでした。

最後に挨拶をさせて頂きましたが、皆さんと一緒に働けた事は私にとって非常に名誉ある期間でした。
I’m proud of you. またどこかで一緒に働くことができる機会があれば嬉しいですね。

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さ、この仕事はクローズです。
記憶の本棚にしまって私も次の仕事に行くことにしましょうか!

皆さん、ごきげんよう!

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