こんにちは。楠山です。
皆さんいかがお過ごしでしょうか?
厳しい寒さの様ですが、この連休が過ぎると春が近づいてくるとのこと。
季節の変わり目は体調を崩しやすい時期です。
お気をつけくださいね。
さてニュースを見ていると小澤征爾さんが亡くなられたというニュースを見ました。
以前お話ししたかもしれませんが、大学生の時はオーケストラにおりました。
子供の頃、ピアノをしているときはそこまで記憶が無いのですが、オーケストラをしておりますとどうしても小澤征爾、という名前に当たります。
やはり素人ですので、次の演奏会の曲が決まるとその曲を聴きます。
当たり前と言われるでしょうけど、同じ曲でも指揮者・オーケストラが違えば雰囲気は異なります。
更に言うと収録した時期が異なるだけでも違って聞こえるんですよね。
20歳そこそこの若造でありましたが、感受性が良かったのでしょうか?
それとも若さ故の感傷であったのか、「音楽ってその人の人生を語るよな・・」と友人と真面目に話したこともあります。
(ま、今ではそう思っていても恥ずかしくて言えないですけどね)
そうそう、あとは音楽ってその国の言葉や文化・風景に関係するんじゃないか、って思うことがあります。
サン=サーンスであればフランス語のリズムを感じますし、特にマーラーなんかはどう考えてもドイツ語のリズムを感じます。
あとマーラー交響曲第1番の譜面は指示がとんでもなく細かい!
ドイツの真面目さというか細かさを感じることができます。
日本語とは違うのでやっぱりニュアンスを表現するのは難しいな、ちょっと違うな、という気はしていました。
気をつけていないと演歌のような「こぶし」になりかねません。
私のことはさておき、小澤征爾さんは海外で西洋音楽の深い解釈や表現はできないだろうと言われていたようですが、気づけばボストンやウィーンで活躍されていたということは海外(作曲者のルーツ)の方々にも受け入れられていたということでしょう。
「日本人に西洋音楽が分かるのか」と言われたことがある時に夕日が綺麗だと思うのは誰が見ても綺麗と思うから大丈夫、という内容の記事を見たことがあります(今回もネットに出てますね)。
言葉にしてみると確かに真実ですが、自分が育ってきた環境を越えて世界中の人に受容されるのはやはり卓越した感性をお持ちなのだと思います。
卓越されている方は有名な作曲家と同じで亡くなってからもその方の作品は遺ります。
また小澤征爾さんに指導を受けた方の中には小澤さんがいるはずです。
私でさえ確かに演奏をしていると作曲者の顔が浮かんでくることがあります。
そういう意味では小澤征爾さんは音楽の中で生きているというのは正しいことのように思います。
後世に良い意味で広く名を残す、誰しもができる事では無いですが、それと同時にその方は人一倍の努力をされないとそうはなりません。
小澤さんの事を改めて見ていますと仕事をすることも後輩への指導も自分の足跡を残していくことなのだと思います。
ふと振り返って見たときに自分が納得できる足跡が付いた道であれば嬉しいですね。
私の場合はカテーテルでしょうか。
1例1例大切にしていかないといけないですね。
今夜は小澤征爾さんのCDでも聞くことにしましょう。
道端で梅でしょうか?綺麗な花を見付けました。
確かにもうすぐ春が来そうですね。