
今回は少し長いので、ご注意ください。
こんにちは。
皆さん、お元気ですか?楠山です。
年度末ですね。
医局の中でも来年度移動される先生方が空いた段ボールを持って歩いているのを見ます。
「ああ、引っ越しだな」とこの時期は「ピン!」とくるものです。
今年は3月16日が国家試験の合格発表でした。
幸い、当院に内定していた研修医の先生方は全員合格!
一番ホッとしているのは本人でしょうが、病院側も結構緊張しているものなのです。
実際に異動する先生に聞いてみますと、年度末は引っ越し代がとても高いとのこと。
そういえば、私が大学を卒業したときは国家試験の合格発表が4月だったんです。
ですので、実際に病棟で働き出すのは5月1日でした。
ふと気付いたのですが、私が研修医であったとき、4月は同級生と2人でドイツからオーストリアに抜ける旅をしていたように思います。
ビール飲みまくって、少しソーセージに飽きた記憶があります。
帰国したときの空港での饂飩が美味かった・・。
今は、4月1日に辞令交付です。
皆さんのモラトリアム、いつの間にか消えてしまっていますね。
私が若いときの引っ越しはそういう理由で4月末ですので、今ほど高くなかったように思います。
ま、勿論、20年以上前の話ですので今の引っ越し代はデフレの時代を抜けてインフレ分もあるでしょうが・・・。
おー、こんなブログなのについに経済状況まで語り出したか!って?
そんなに頭良くないので経済はコレにて終了。
漸く本題に戻ります。
3月19日夕方に姫路聖マリア病院の研修管理委員会に出席させて頂いておりました。
姫路聖マリア病院さんと当院は以前から産婦人科・小児科でお世話になったりして交流させて頂いており、研修医2年目の先生の中で希望者は当院で1ヶ月間一緒に勉強させてもらっています。
知っている人の卒業式でもありますので、当然行くわけです。
以前、もう少しで姫路聖マリア病院に到着するときに網干から緊急カテの電話がかかってきて、「双六の上がり直前の振り出しに戻る」を地で行ってしまった経験があります。
今日は少し緊張しながら運転して電話も鳴らず、無事委員会に間に合いました。
修了証書授与式ですし、学校程人数はいませんので式自体は長い時間はかかりません。
でも私個人としてはこのような区切りにセレモニーがあることは大切なことと考えています。
セレモニーの時間はその目的のこと(今回は研修修了) に思いを馳せる時間です。
それがないと漫然と時間が流れて、研修医から一人前の医師になるのですから、自分の中で内省し、覚悟する時間は必要不可欠だと思いますね。
さてその式の間参列していたのですが、当科で一緒に勉強した先生方が私の方を見ているような気がしました。
「ま、ボクの自意識過剰だよね(^_^)」と解釈して、「これからが本番。頑張ってね」と心の中でシニカルに呟いてその先生方の横顔を見ておりました。
式が終わって、私が帰ろうとすると、当科で研修していた先生方と眼がしっかり合い、ジェスチャーと頷き、視線で交流したのですが、1人の先生が私に近づいてくれて挨拶をしてくださいました。
「なんと礼儀正しい先生哉(かな、漢文調に)」と感嘆しておりましたら、その挨拶の後に「急性心不全の患者さんがきて、先生に教えてもらった急性心不全の治療、やってみたんですが、上手くいきました!」と言うではないですか!
これは更に素晴らしい!私もとても嬉しくなりました。
挨拶の100倍ぐらい。
姫路聖マリア病院は循環器内科の症例が多くない故に選択科目として当院に勉強しに来てくれています。
確かに研修中にちょうど急性心不全の救急外来での対応を一緒にしたような気がします。
(指導者!指導内容、覚えとけよ!(-.-#))
その時、私の治療を見て、私と少しばかり議論しその患者さんの経過を見ただけの状態で(研修医でもありますので指導医も付いてくださっていたでしょうが)、循環器専門医がいない状況で治療方針を自分で思い出しながら組み立てて、指示を出す。
急性心不全、夜に搬送があることがあります。
夜の救急外来は研修医の時、心細くなった経験が私にはあります。
その状況で、「1人では初めてだよ」とおそらく緊張しながら指示を出したわけです。
その勇気はとても立派。
ま、私は厳しい人間ですので、循環器を専攻する研修医であれば、「かなり誉める」ぐらいですが、循環器を専攻しない先生が、1ヶ月の私の研修で急性心不全の急性期治療をやって患者さんを安定させた?!
これは勇気も必要ですし、緊張しながら「合ってるのかな、この指示」と少し自分の中で疑念が湧くこともありながらも、指示を出し続ける、という医師の責任を果たした訳です。
(救急現場で自分に疑念が湧くときは悪魔が住みます)
これは「とんでもなく絶賛!」です。
とても温かく誇らしい気持ちになりました。
私が指導医に向いているのかどうかは自分では分かりません。
評価は他人がすることですので。
でも、指導したことを別の現場で自立して体現させたわけです。
これはちょっと凄いこと!
指導してもずっと一緒にいることができるわけではないです。
これは医療業界だけではなく、社会ではどこでも一緒です。
一時期、一緒にいた人の中に一緒に勉強したことが残っていて、別れてから教えてもらった人が適切に教えたことを体現させた。
これって指導する側からすると教育としては任務達成、完全な仕事ができた、ということになります。
だって自分がいなくても教えたことを教えてもらった人ができるようになったのですから。
先生、式の後、帰ろうとしたおっさんに声をかけてくれてありがとう!
これは私にとってはとても大きな勲章になります。
その時は言えなかったけど、そこまできたのであれば更に先の目標を提示しないと指導者としては失格ですね。
私が研修医1年目前半、中心静脈カテーテルを最後まで先輩に取り上げられず、入れさせてもらって良い気分になっていた時のことです。
たまたま天王寺のとある大学病院のエレベーターで教授と2人っきりになったとき、声をかけてくださいました。
「Dr. Kusuyama. 手技は “See One. Do One. Teach One.” だよ。先生の手技習得は他人に教えることができた時に本当に自分の物になる」
私、馬鹿みたいに嬉しそうな充実した顔していたんでしょうね。
でも教授の言葉は真実。
次は先生には急性心不全の急性期治療を誰かに “Teach One” をしてもらわないといけないですね。
さあ、あと2週間もすれば、また新しい研修医の先生がきます。
このようなことがあれば、私は指導者として来年度も頑張れそうな気がします。
私達は「プロ」ですもんね。
愛情持って厳しく行かないとね。
患者さんに悪いですから。
教育の原点を教えてもらいに行った姫路聖マリア病院の研修管理委員会でした。
世の中の研修医諸氏、御卒業おめでとうございます。
多分、先生方の前に出現する壁はこれからも徐々に高くなっていくことでしょう。
それ故に努力はこれからも必要不可欠ですが、輝かしい未来が待っていますよ!
独り立ちですね。
自由と厳しさを同時に感じて逞しく育ってください。
2026年3月19日夜 春の夜を感じながら記す
追伸:ちょっとお休みに外出してきました。桜がもう咲いています。桜、入学式ではなく、卒業式の花になっちゃいそうですね。

