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2019.02.02

私の父について

画像:パブリックドメイン

 姫路の片隅の名も無き脳外科医の出自を語ったところで何にもなりませんが、私の家は明治期に没落し(借金の保証人になったとか。詳しいことはわかりません)、当主が一念発起して大阪に出たもののどうにもならず、父親の代には相生のバラック(と父は言います)に住んでいたそうです。

 少年時代、風邪をひいてうなされている時、ふと目を開けると枕元に行者さんが座って必死に拝んでいたそうで、「当時は医者にかかるより拝み屋さんの方が安かったからな!」というのが酔った父の十八番です。

 そんな父ですが、地頭が良かったのか姫路東高へ進学。そのころから祖父の商売が上向き始め、東京の大学に進学します。
が、在学中に祖父の事業が失敗し、親の面倒をみるためにこちらの企業に就職。僕が4歳のころ、太子町に家を建てました。

 そのころの父の悩みは、「今の会社の収入ではこの子(僕の事です)を大学にやれない」ということだったそうです。
そして一念発起し、会社を立ち上げます。

 当時僕は何歳だったのでしょうか?玄関に母とならび、「今日からお父さんは社長さんなのよ」と言われ、「すごい!いってらっしゃい!」とひときわ大きな声で言った風景をまざまざと覚えています。あの時の父の、不安を押し殺した笑顔も。
きっと子供心に、両親が隠し切れなかった異様な緊張感を感じていたのでしょうね。商売が上手くいくなど、誰もわからない訳ですから。

 幸い商売は軌道に乗り、僕は中の上くらいの生活を送ることができました。次に事が起こったのは、中学校2年生の終わりです。

 父は自分が姫路東高だったのがコンプレックスだったらしく、僕を姫路西高へ入れたいと、ずっと言っておりました。しかし当時は学校区が違うため、西高に通うためには引っ越しをしなければなりません。
ある夜、寝ている僕に、後ろから母が声をかけました。
「智史、西高に行きたい?もし本当に行きたいなら、この家、売るよ」

 僕は中学校2年生でした。当時、月の小遣いが千円で、一万円札が財布に入っていたら大金持ち!くらいの感覚です。持ち家を売って、引っ越しをするとなれば何千万円という途方もないお金が動くのは分かります。一体我が家にそんなお金があるものなのか、全くわかりません。一瞬迷いましたが、「行きたい!」と答えました。

 翌月、我が家は姫路に借家を借りて引っ越しました。

 たかが高校進学の話で、馬鹿なことをする親だなと今は思いますが、「孟母三遷」という言葉もあります。僕の場合「孟父三遷」になるのでしょうか。

 西高ではまぁまぁの成績を収め、なんとかお医者さんになれたわけですが、まさか自分が故郷に戻ってくるとも思っておりませんでした。今は両親と共に太子町に暮らしており、最近リタイアしてめっきり年をとった父の背中を眺めております。

 ああ、この人は、自分の人生の全てを僕にささげてくれたのだなぁ。

 名門小学校のお受験では、「尊敬する人は?」と聞かれると、「お父様!」と答えるよう教えられるそうです。アメリカでもセレブな学校に入学する時には「両親です!」と答えるのがマナーだとか。

 僕はお受験もしておりませんし、セレブでもございません。しかし「尊敬する人は?」と聞かれたとき、素直に「父です」と言えるのは、幸せなことだと思っています。

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